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2013年7月

2013年7月24日 (水)

17日から23日まで・・・・。

私の所に「鉄板ダイニングパパ」の開店通知が届いたので、

17日、

プレオープンの日に、

友人と行ってきた。

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そう「Vシネの帝王」と呼ばれる方のお店で、

息子さんも居ました。

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(食材、料理、接客、大満足)


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(流石に著名な方々が・・・)

後、18日から関西方面に行って、

友人と色々な話をしてきた。

私が地方へ行くと、

非通知電話が幾度もかかってきてはプツリと切るというパターンが多いけど、

ただ無駄につまらん・・・。

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(実母系先祖のお墓)

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(中村家の墓誌)



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(実母系先祖の仏壇・真言宗)

亡き実母の姉や弟、義兄、従弟や甥っ子さんたちとも会ってきた。

私の実母系は、

愛知県の中村家本家で、

豊臣家の家臣、

そこへ尾張榊原家から婿入りしたとのことでした。

そうしたことを調べるのも、

地方探索というのも、

地方の友人と交流を深めるのも、

勉強であり、

仕事にも繫がるので大切なことですから・・・・。

亡き実母の墓前では、

娘のことなど伝えてきた。

実父の森家の方には、

行こうと思ったが、

何だか行くと無駄に腹が立つようで行かずに、

名古屋の友人と、

お食事したりしてきたが、

暫く行かないうちに、

だいぶ変っていたね、名古屋は・・・。

変らないのは、

実母の姉で、

未だに、

美空ひばりさん信者だったこと・・・。

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戦後の暗い日本を美空ひばりさんは、

歌で明るく多くの人たちに夢と希望を与えた。

私の政治団体「愛心会」の活動も同様に行いたいと思っている。

それから、

私のブログに、

「つまらないブログなど閉鎖しろ」だとか、

「山根健一さんのブログに何じゃら」とか、

コメントが来たけど、

そうしたコメントは、

ブログにアップしないし、

つまらん、なら、見なければいい話で、

山根さんとは電話でお話した。

23日に関東に戻り、

娘、ノアちゃんと会ったけど、

やはり超可愛い~!

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さて、月末は何かとやること、

やらねばならんことも多いけど、

体調だけは崩さないように頑張りま~す!

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2013年7月14日 (日)

月蝕歌劇団

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昨日は、

都内杉並区阿佐ヶ谷まで行って、

月蝕歌劇団のお芝居を観てきた。

やはり暴走族ブラックエンペラー出身なので、

黒いスーツと黒いサングラスという格好が好きなのか、

ただ黒いサングラすというのは、

オナゴさんをスケベそうにチラ見してるのが、

分からないようにと・・・。

でも、たぶん気が付いてるかな?

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まず月蝕歌劇団パーテイが行われて、

飲食物を配られ、、

スロベリアとか穂国の話も聞いて、

美人さんたちは歌を披露。

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「↑」は開演前の出演者写真。

パーティが終ってから、

少し合間を開けて、

寺山修司さん最後の作品「100年の孤独」のお芝居が始った。

歌劇というから歌のある劇なのだが、

踊りもあり、

オナゴさんが回転したりで、

やはりチラリと見えてしまった。

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演劇内容は勿論だが、

私が一番関心を強く持つのは、

「人」という存在である。

「男がオナゴを使う」というのは簡単なことではないが、

高取英さん曰く

「ボクは何もうるさいことを言わない。

今の女の子たちは優秀だから、

自由にさせてるよ」であった。

それは高取英さんながらの包容力と、

長年続けてきたという中での実績と信頼感だと思っている。

何故、私が高取英さんとお付き合いをして頂けてるかと言ったら、

早稲田大学出身の元過激派で、

「漢字博士」とも言われている方の繫がりかな?

若い頃に高取英さんと出版社関係の仕事をしてたそうで・・・。

「人という存在」の中で、

寺山修司という方の存在にも、

私は関心がある。

劇団関係の人とは、

私も他に知人はいるが、

「私は本を読んで作者を知る」ということも大事には思っているが、

「直接に会って」という方がよく知れる。

ただ故人となれば、

伝説的に伝えられるが、

大概、私は顔で想像が付く・・・。

寺山修司という方のことも私ながらに、

「並大抵な人物ではなかった」と思うから、

生前にお会いしたかった人物でもある。

私は個性的な男が好きであり、

個性を如何に発揮するか、発揮する場所を作り上げるか?

月蝕歌劇団のお芝居では、

高取英さんの個性というものが滲み出ているように感じている。

女優の人たちも、

けいこに、

けいこを重ねてても、

「辛い」という顔ではなく、

「楽しい」という笑顔で、

会場に来ているが、

決して作り笑顔ではないように感じた。

誰しも心の中には「辛さ」というものを持ってはいるものだが、

辛さ、厳しさを乗り越えた中から、

本当の笑顔が浮かべられるものではないかな?

役者の笑顔でも、

同様で、

テレビを観てても、

そうしたことが本当の人気を得られるものではないかな?

演劇終了後には、

高取英さんと近くのバーへ行き、

お話をしてから、

阿佐ヶ谷駅でお別れして、

高円寺の友人の店に行こうと思ったが、

午後12時近かったし、

高円寺には行ったけど、

やはり止めて、

中野駅まで行ってサウナに泊まり、

朝方に麻布十番に帰ってきた。

(娘の笑顔が最高でもある・・・)

後の月蝕歌劇団のお芝居も観たいが、

週明けには幾つか用事も入っている。

それと数日前には、

「ぼったくりの帝王」こと影野臣直氏から、

「ロシア国営テレビの協力を・・・」と言われたので、

協力してきたけど、

(何だか、いつも無料協力ばかりしてない、私、色々な人たちに?)

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まあ、外人さんは、

「ヤクザの指詰め」というのには関心が強いみたいですね。

私は「ヤクザのうんちく」というものは、

20才以上も年上の方々に教わってきたし、

先々代の総長も、

「筋を語らせれば日本一」とも言われ、

亡き川村伸一親分からも、

「ヤクザとはな・・・・」と私は正座で、

何時間も教えられたものか・・・。

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何だか過去に半端して、

小指を落としたのが良かったのか、

悪かったのか・・・?

半端だけでなく、

亡き川村の親分宅での部屋住みやベンツの運転手もしてたけど、

親分が「良し」というまで務め上げたのは私位じゃないかな?

厳しさは半端じゃなかったからね。

それも今ではプラスに成ってるのかな?

では、暑い日が続くけど、

熱い志というものを心に抱いて、

「負けてなるものか~!」でございますね。

「はい、娘には完全敗北してますが、何か?」ということは置いといて、

昨日は見事な演劇を本当に高取英さん、有難うございました!



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2013年7月 1日 (月)

「月刊実話時代(8月号)」

現在発売中・・・!

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「六代目山口組四代目誠友会、一家内盃直し」

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私も北海道の月形刑務所、帯広刑務所では、

誠友会の方たちとも親しくなり、

先日は、

初代の頃から直参の組で若頭に付いてた方からも電話があった。

もう離脱して長くなるが、

息子さんの方は、

関東に居て、

新木場の格闘イベントに行ったとのことで、

詳細を聞くと、

キャットファイトの試合・・・。

お父さんの方は体調も良くないそうで、

続けて二度の心臓手術を行ったが、

服役中も息子さんのことばっかり心配していた。

やはり元も現役も同様に、

ヤクザの子ということで、

親からすれば心配になるのは、

私も娘を持って分かる・・・。

それから、

九州での両会が、

大抗争完全決着・・・。

私が属していた組織は、

両会とは縁が深かった。

個人的にも、

両会に友人はいたが、

今では交流をしてはいない。


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それは私ながらに、

離脱した身として、

交流するヤクザも、

「ある程度に限って・・・」と思っているからだ。



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そして、私らの懐かしい池袋抗争・・・。

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私が甲府刑務所に服役中、

会長は絶縁処分になり、

出所後の明くる日から、

本部で一ヶ月間缶詰状態。

「お前は警察に口が堅い」という理由で、

特攻第一班のメンバーに選ばれた。

某所のマンションで、

「GO!」の指令を待っていたが、

一応は先方側とも話が付いて・・・。

あの頃のことを思うと、

「あれほど関東で過激な抗争を繰り返す中で色々なことがあったな・・・」という感じです。

通称「十年戦争」と呼ばれてました。

私の場合、過去を振り返れば、

短期刑でよく済んだものだと思うし、

先達ては「最後のヒットマンが・・・」って、

何だか私の住居の近くに潜伏してたの?

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私は個人的にも、

府中刑務所で中野会の方と親しくなり、

出所後には、

最初の頃に逮捕された「ヒットマンのヨシダさん」を紹介されたことがあった。

徳島刑務所も「中野会工場」と呼ばれる工場で、

同じ雑居房には、

高知の「超いごっそ」な方と、

中野会の方と一緒だった。

工場では、

初代健竜会の舎弟さんにもお世話になり、

そうした方々のお陰で何とか無事に服役を終えられた。

中野会出身の方とは、

京都刑務所でも親しくなり、

私の次の作業班長も、

中野会に・・・。

それでも宅見組さんの方にも親しい知人はいた・・・。

しかし、流石に山口組さんには、

凄い方々が・・・と思える記事も掲載されてます。

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懲役ばっかりの私だったが、

徳島刑務所へ移送前に、

実母が心筋梗塞で、

又、

私を若頭の役に付けてくれた川村伸一親分も脳溢血で他界・・・。

せめて実父の死は見届けたかったが、

シャバに居たのに、

見届けられず、

葬儀では、

本当に悔しくて・・・。

「↓」という時のことが連載に書かれてます。


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人は悔しさを重ねることにより、

逆境を乗り越えられる逞しさが身に備わる。

それには、

私的に、

まだまだ・・・・ですね。

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そして、今回は代紋バッジが・・・。


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「殺しの軍団・・・」






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現在では超貴重な・・・。

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懐かしき・・・・。


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甲府刑務所では新潟の源清田会の方たちも多かったけど、

あの方、この方と、

今は皆、如何してるのか・・・。

それと、

雑誌とは別に、

梶原一騎さん、真樹日佐夫さんの追悼興行の通知が届いた。

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亡き実父と、

梶原一騎さんとは、

交流があり、

お互いに陰口を言ってたのが知れて、

野球で勝敗を決めたそうである。

実父は、

「俺が勝った」と言ってたが、

後の森哲郎兄弟と比べたら、

お話にならない・・・。

あとね、2ちゃんで、

何やらとか、

ブログの方にコメントをくれた方、

それ私では御座いませんよ。

最近でも「LINE」で、

私の経歴を送ったり、

誰だか知らないけど、

ミクシーのアカウントも取られて、

成りすましの私が存在してるようです。

前に私もブログ荒らしされてましたから・・・。

山根さんという方のことも存じ上げないし、

コメントもアップ致しません。

私らの頃の関東連合設立者は、

阿佐ヶ谷マッドスペシャル初代と、

新宿ブラックエンペラー初代で、

会長に立ったのは、

神奈川県鶴見市から、

世田谷区に移り済んだアベ会長で、

昭和52年、関東連合最後の集会を指揮したのは、

赤坂ブラックエンペラー初代です。

確かに今のインチキ歴代総長やら単車の頭じゃないのに、

単車の頭だとか、

そうした変てこなのが、

誰も文句を言わずに作られちゃったから、

私も服役中でしたし、

後のと比べたら、

後の方が遥かに凄いんじゃないですか?

時代の違いもあるでしょうね。

私らの頃は、

人数での勝負みたいなものでしたから・・・。

それと私は喧嘩が強くて、

中野ブラックエンペラーの初代してたのではなくて、

強いメンバーが周りに居たからです。

ヤクザ云々というのも、

私は

池田会木村睦、

後に一家の直参、

目白貸元、川村伸一親分の下では、

若頭もしてたけど、

川村亡き後は、

連合会に移り、

出世云々とか考えず、

懲役続きで、

後輩らには遅れを取るし、

サッサと離脱して、

物書きに・・・となった訳です。

で、一九才年下の嫁を持ち、

三才半になる娘を育て、

アウトロー規制じゃ何やらで、

アウトロー誌や暴走族雑誌が減りつつあるのを、

つまらん、と思ってる次第です。

でも、「実話時代」を今後ともご愛読下さいね!!!

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