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2013年2月

2013年2月21日 (木)

22日は実母の命日

平成14年2月22日、私の実母は心筋梗塞で死去した。

当時、私は13年末から事務所で謹慎中でもあり、

実母とも10年ほどは連絡を取ってもいなかった。

3月に謹慎処分が明けて、

覚せい剤事犯で逮捕され、

裁判の時に、

弁護士さんから、

実母の死去を知らされた。

服役中に実母との思い出を「瞼の母」というタイトルで書き、

刑務所の機関誌「人」の文芸コンクールに投稿して、

佳作入選したのが、

私的には「出所後に作家に成ろう!」という決意を更に固めた機会でもあった。

実母の遺骨は実母の彼氏が持っていたので

それを受け取ってから愛知県の親戚の所へ二度往復して、

ようやく実母の先祖代々のお墓に埋骨するの事が許された。

22日で実母の死去から11年経ち、

埋骨から7年を過ぎるが、、

まだお墓参りには行けないでいる。

だが、明日には親戚に電話だけはして、

今の事情を告げて、

何とか年内には行けるようにしたい。

昭和34年11月、伊勢湾台風の影響で私は早産で生誕したが、

医者は実母に、

「この子は育ちません」と諦めを諭したけれど、

育ったのは実母の意地でもあり、

相当な努力をした事だろう。

今は私も暴力団を離脱し、

娘も産まれ

嫁と協力し合って育てている。

「子を持つ身になって親の苦労が知れる」とはいうが、

私などは大した事ではない。

ただ嫁の変わりようには驚いている。

あれほど子供嫌いだったのが、

まるで変わり、

今では、

娘命になった。

他所の子供さんたちも好きになったし・・・。

しかし、最近でも、

親が子を殺すという信じられない事件も起きている。

嫁は私などとは比べようもないほど、

海外で生活したり、

苦労や辛い経験を積み重ねてきた。

私には、

嫁と娘を守り、

後々の事も考えていかねばならない。

いずれは家族3人で、

実母のお墓参りにも行かなければ・・・。

ただ一言、実母に伝えたい。

「こんな私を必死で育ててくれて有難う!」と・・・。

まだまだ未熟な物書きだが、

私ながらに後々も頑張るのみです!!!

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(私、実父、実父の母、実兄、実母)

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(佳作入選の通知)

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(実母と私)

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(私の生誕時、1900グラムの未熟児・・・)

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(超可愛過ぎるほどの娘)

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(「ウチの娘に猥褻とかしたら許さないぞ」的な嫁。逆に私が守られてるような・・・汗)

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2013年2月11日 (月)

「SOUL SONIC BOOGIE Happy Birthday COOK Party」

 

60年代創世記から支えてきた伝説のソウルマンであるCOOK

(クック・ニック&チャッキー)のバースデーナイトに行ってきた。

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お店は都内港区飯倉片町・・・・。

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COOK氏はクック・ニック&チャッキー」として、

「かわいい人よ」

「僕の彼女は三つ年上」など日本のソウルミュージックとしてヒット曲を飛ばし、

この曲でも私は中学1年生の頃から踊っていた。

それは私の実兄や中学の先輩とかが、

私らの家をディスコ代わりに使っていたのと、

明大中野中学の友人らとダンスパーテイに参加したり、

新宿の「ゲット」、

「Q&B」というデイスコに通い始め、

後にも新宿歌舞伎町界隈のディスコは殆ど常連的になり、

赤坂、六本木にも踊りに来ていた。

当時は法律規制も厳しくなく、

経済的にも、

精神的にも割と豊かな時代で、

偏見や差別的な事も少なかった。

そりゃあ、都内には全国各地の若者が遊びに来ていたし、

派閥争いなどは頻繁に起きていた。

中野ブラックエンペラーで踊りが超上手かったのは、

私の中学の2個下の通称「つーちゃん」。

彼は名古屋で行われた全国ダンスコンクールで、

バラード賞を取っている。

あとは中野区立10中のアラキ・・・・。

まあ今は彼らが何してるのか分からないが、

あくまでも中野ブラックエンペラーは関東連合を名乗らず、

七個下がリーダーの世代までのメンバーは各業界で成功している。

それが私には嬉しい事であり、

私自身の成功云々は特に気にせず、

親の七光りや親を頼らず、

嫁と娘と麻布十番で幸せに暮らしているが、

私には家庭のことも大事だけれど、

まだまだ私ながらの使命役割というものを果たしたい。

それは政治団体「愛心会」のブログの方に活動的な事は書かれてある。

本当に私らが若い時代は良かった。

そうした事を今の若い世代の人たちにも伝え残したい。

その原点が私的にはCOOK氏だとも言える。

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(お誕生日おめでとうございます!)

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会場では殆どが私より少し年上か、

年下くらいの人たちがステップしたり、

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歌ったり、
 


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何やら色々と・・・・。

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COOK氏もご年配とは思えぬほど元気で・・・・。

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バースディケーキも「↑」のようなものが用意されており、

シャンパンも皆に配られ、

乾杯してお祝いをした。

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明るくて、


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楽しくて、

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格好良くて、

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美人さんのベリーダンス・・・。

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良きカップル・・・。

私ら暴走族ブラックエンペラーにも、

良き思い出もあれば、

辛く悲しい思い出もある、

若い頃から苦楽を共にした仲間たちも、

段々と年を重ねていくにつれて、

不仲になる事は多いが、

私は意外と誰とでも、

自然的に仲良くなる。

ただ人の好き嫌いはハッキリとしている。

私ら中野ブラックエンペラーは、

神奈川県鶴見市から、

都内に来て会長を務めていた性格穏やかなアベさん、

和歌山県から上京し、

アベ会長の側近として、

関東連合最後の指揮を執った赤坂初代が設立を許してくれた。

赤坂初代も浮き沈みを経験しながら、

今では押しも押されぬ花屋さんとして成功している。

人は良い時には頼ってくる。

悪い時には去っていく。

私的には、

「ふ~ん、そんなもんか? つまらんの~」ですな。

ブラックエンペラーを最初に設立したのは国士館の番長連であった。

国士舘にも歴史があれば、

暴走族にも歴史がある。

何じゃね、

インチキ出鱈目ニセモノ岩崎が作った歴代総長?

当人自身が私らを前に、

「やあ、ちょっと集会に出てただけで、

総長じゃないから・・・」と言っている。

私的には、

「エンペラー商店街の中だけで、

当人ともどもお安く売ってなさい」である。

それを「男の安目」と思わなければ・・・・。

私は仕事自体を収入を得るがための手段だけとは思わず、

政治的な活動の一環だとも思い、

自分の生き方を貫くまでである。

そうしたものを良く思い起こされるイベントだった!!!

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