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2013年1月

2013年1月31日 (木)

実話時代3月号

現在発売中の実話時代、

私の連載「懲役ジローの全国セイハ」には、

京都刑務所を出所してから如何に物書きになるかの話が書いてある。

まずは事務所に1ヶ月半ほどは詰めていた。

後、事務所住まいを明けてから物を書くために・・・の話です。

そして、今回のには九州四社会という四つの組織の親分さん方の記事が掲載されている。

これはヤクザ、カタギ如何を問わず、,男としての生き方には学ぶ事も多いかとと思います。

横浜四天王と言われた古き愚連隊の事なども書かれてあり、

今の愚連隊とは如何に変ったか?

そうした事を知るためにも、

是非ともご愛読下さい!

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(服役中に作家となるために如何にしていったか・・・)

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(実話時代さんの表紙は以下にもヤクザ専門誌らしい作りですね)

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(流石なる九州ヤクザの親分さん方・・・)

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(横浜四天王と呼ばれた愚連隊の方々・・・)

 

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2013年1月26日 (土)

久留米で産まれてよかった!

・・・と書かれある「福ヤ」の貞方社長が、

昨日、六本木1丁目の「The Gellery ROPPONGI」という店で、

六本木セレブパーティwith
佑多田三斗ミニライブをした。

私は開催以前に予約を入れて、

ちゃんと「福ヤ」でラーメンを食べてから、

参加してきたが、

流石に貞方社長のお若いながらも押しも押されぬ企業家になった人柄や実力の知れるようなイベントだった。

「貞方社長のブログ http://ameblo.jp/sadakata/entry-10527533521.html」

他の社長さんのご挨拶やミニライブも素晴らしく、

ポールダンサーやご来場の美人さんも素敵で、

セレブではない私もセレブって観ていた。

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途中から博多出身の良き友、

原武嶺太郎さんも参加して、

お二人はツーショットしたが、

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そうした事を頼んでも、

優しく対応してくれていた。

本当に強い男は優しくなれる。

お偉い方だ、と思えるのに、

偉ぶったりもしない。

私も見習わなくてはならない。

そう強く感じたイベントだった。

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誕生日祝いの乾杯もしてたが、

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その前日は私も誕生日で、

前に六本木マハラジャでは、

私の誕生日祝いも兼ねて、

高知の人たちが中心になって、

お祝いをしてくれたから、

特に当日は祝い的な事はしなかった。

社民党の福島みずほさんが、

参議院会館
で、

「102年後に大逆事件を問う」というのを行うので、

私は受付で通行証を頂いて、

院内に入ったが、

「宗教者との懇親会」の方に行っていた。

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要するに、

どちらにも、

福島みずほさんと書かれてあるし、

一階と地下一階の講堂を間違えてしまったのだが、

私も宗教は20代から勉強してきたので、

関心も強く、

懇親会してきた。

後に「大逆事件」と思ったら、

既に終わっていたので、

私は参議院会館の食堂で、

天ぷらザル蕎麦を食べて、

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衆議院会館の中も見学してきた。

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この2日間で、

私的には良い勉強になったと思っている。

あとは月曜日に新聞社の方とお話をして、

確定申告や選挙管理委員会に提出する書類などを書き、

月明けには、

某出版社の方と打ち合わせをしてから、

原稿を書く・・・。

政治団体「愛心会」の活動も、

少しずつ段取りをしながら進めている。

では、また後の

「名古屋で、漫画家・森哲郎の息子で産まれてよかったのかな?」という中野ジローを宜しくお願い申し上げます!!!
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2013年1月24日 (木)

本日、私は53才になりました!

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昭和35年1月24日、私は愛知県名古屋市天白区で、

漫画家・森哲郎(本名・森正衛)の次男坊として生まれた。

その5年ほど前に父は中日新聞社の社員を経て、

文春漫画読本で「大将さん」という連載作品を描き、

漫画家としてデビューを果たし、

既に私の誕生時には数々の雑誌に連載を持つ漫画家に成っていた。

しかし、母が私を身篭ると出産には

「男の子は一人だけで良い」と反対したと聞いている。

私の兄、尚之が2年前に生まれていたが、

もともと父は子供が生まれる行為は誰よりも好きだが、

子供自体は好きではなかった。

跡継ぎの長男だけ居れば充分だと思っていたのであろう。

それだけではなかった。

後年、私には、

「俺が生涯、子供のままで居たい。だから子供は要らない。

父親らしいことは出来ないからな。

ジローとは一番の親友で居よう!」とも語っていた。

所謂、少年心と遊び心を忘れずに漫画を描いて、

子育てや教育面は母に任せて私とも友人的な付き合いを望んでいたのである。

それでも母は子供が好きで父の反対を押し切って私を生む決心をしたのだ。

母自身が家庭的に恵まれて育って居ないことも影響したのだろう。

母の実家は名古屋市内では有数な呉服問屋だったが、

終戦直後、小学校4年生の時に両親は続いて病気で亡くなっていた。

母には兄と弟、姉も二人居たが、その後は問屋も失い、

各自がバラバラに親戚やお寺、施設などを転々と預けられて育った。

ゆえに母は家庭的な飢えもあってか、

家族団欒という満足感を求める中で、

子供という存在を持ちたかったのだと私は思っている。

母は早くからホステスをしたり、着物のコンパニオンをしていたが、

あるパーティにコンパニオンとして参加した時、

父と出会って結婚・・・。

未だ母が16才で父が27才の時であった。

父側の両親は健在でもあり、父にも兄弟姉妹は5人いたが、

その中の次男坊で中日新聞社に勤めていた頃のことだ。

結婚することで母としても生活的に安心感を抱いたことであろう。

「俺はあるお嬢さんと結婚の約束を交わしていた。

だけど、佐加枝(母の名)の生い立ちを聞いたら可哀相に思って、

ウチで養女にしようという思いも・・・」と、

後に父は結婚の理由を私に話していたが、

実際には母は父の両親側から嫁苛め的な事をされていたようでもある。

それは父の兄弟姉妹の中でも両親側からすれば、

一番の稼ぎ頭として夢を託していたが、

その夢を実現するためにも母に対して、

厳しく接したのは何となく分からなくもない。

何しろ、父は漫画は上手くても料理や自身の身の回りのことは何も出来なかった。

母は施設でも料理や洋裁など教えられてきている。

しかも結婚前は父の母が全て身の回りのことをしていた。

それを今度は母がやらなくてはならなかったので、

母的には苛めと感じていたことでもあろう。

父は結婚時の年に新聞社を退社し、

漫画家として順調に軌道に乗り始めた頃でもあった。

次々と父は色々な雑誌に連載を持ちながら母が18才の時に私の兄を産んでいた。

父の両親としても跡継ぎの子供が出来て喜んだことは言うまでもない。

昭和34年、母は20才の時に私を妊娠するが喜んでいられる状況ではなかった。

その年の9月に伊勢湾台風という戦後空前な猛威の台風が東海地方を襲っていたからだ。

台風で木曽川や海岸の堤防は決壊し、

流水では五千人以上の死亡者や行方不明者が出るほど悲惨な出来事だった。

だが、台風時には父は出張中で自宅に不在でもあり、

妊娠中の母は泥流で自宅が崩壊する寸前、

2才に成る私の兄を背に外へ飛び出すと、

救助隊のボートまで数百メートルも泳いで避難したという。

それが原因で私は早産してしまった。

本来、明くる年の3月に出産の予定が急変し、

1月に生まれてしまい、

体重も1900グラムという未熟児で、

医者さえ「お母さん、この子は育ちません!」と諦めを諭したとも聞いている。

未だ当時は今ほどに医学も発達していなかったからであろう。

病弱で泣いてばかりいる私を母は一晩中編み物をしながら、

部屋に吊るしたハンモックで揺すぶって寝かしつけ、

育てるのに必死になっていたそうだ。

母は言わば戦争孤児みたいな生い立ちでもあり、

そうした苦労の体験からか、

人並み以上に負けず嫌いな性分で、

医者の言葉など全く信じずに意地になったのだろう。

そのお陰で私は生きている。

しかも人並み以上に元気な身体なのは、

全て母の意地の成果だと言えるが、

何ひとつ親孝行をすることの無いまま平成14年に心筋梗塞で亡くなってしまった・・・。


私が誕生すると家族共々で上京し、

都内板橋区常盤台の二階建ての一軒家に名古屋から移り住み、

二年後に父は手塚治虫氏らと長編漫画研究会を結成した。

自宅には学生服姿で愛知県蒲郡市から父を頼って上京し、

弟子入りした高信太郎とお手伝いさんを二人ほど住ませていたが、

その頃の父の収入は現在の金額にすると月に一千万円近かったらしい。

銀座新橋界隈でも俳優の勝新太郎氏と並ぶほど豪遊をしては、

芸者やホステスを自宅に連れ帰り、

酔っ払いながらドンチャン騒ぎをしていたことを私もうつろ気に覚えている。

自宅の一階大広間には

常に遊び人としても知られる落語家や映画俳優さんなどが、

ゴロゴロと溜まっては父と一緒に酒と痲雀で明け暮れていた。

そうした遊びが好きなのと同様に父は漫画を描くことも好きで、

よく離れの一室に1人で人を寄せ付けない気迫を背に感じさせながら、

漫画を描いていたものだった・・・。

現在、私は物書きの世界に入り、

7年が過ぎた。

この間に私は4冊の本を出し、

何かしらの雑誌で連載を持ってはきている。

暴力団組織も除籍という形で離脱を許され、

19才年下の嫁を持ち、

娘も産まれて3才になる。

仕事的には、

まだまだの段階だが、

両親は他界しているけど、

母譲りの負けず嫌いと、

父の遊び人的な性分ながらも、

やる時はやるという所を受け継いだのか、

政治活動も進めたが、

決して父を超えられる人間には成れないかも知れない。

だが、私は私なりに、

物を書き続け、

マスコミ不況なんてものは、

子育てと仕事を何とか両立して、

クソ意地で乗り切ってみせる。

それが53才に成った私の新たな決意だと思って頂きたい。

色々な方々から、

「誕生日おめでとう」という言葉を頂き、

本当に感謝申し上げます!!!

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(娘、ノアちゃん・・・、台風などに襲われても命掛けでパパとママは護るからね!)




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2013年1月19日 (土)

暴走ぎみのイクメン?

男性が積極的に育児参加することは義務になった感すらある・・・とのことだけど、

私は義務とか特に子を持つ男性なら当然だし、責任の問題だと思っている。

「如何なる子が生まれるか分からない、育てられない」と周囲の反対を押し切って生ませたし、

もし障害を持った子でも私は育てる覚悟でいたから・・・。

最近は、イクメンたちが頑張りすぎて、身を崩してしまうことも増えている、と言われるが、

確かに育児と仕事の両立には厳しいものはある。

だが、私は家で物を書く、書けないほどの物なら娘を一時的にでも託児所に預けたり、

嫁が育児をしている。

嫁が外出して何してるか、いちいち聞かないし・・・。

育児に頑張りすぎてダウンなどして堪るものか、という気持ちは私も嫁も強く持っている。

私は家事や料理も普通に得意だし、買い物とか、

そうしたことはヤクザの世界では当然なことで身に付いたし、

又、

若い頃から親元を離れてたから当たり前のことだった。

そりゃあ、男と女は意見が違う時もあるけど、

娘が出来たことによって喧嘩もしなくなった。

色々なことでイライラしても、

娘の笑顔を見ると穏やかな気分になれる。

私ら産後うつとかにもならないし、

ただ産後セックスレスにはなったけど、

浮気とかはしない・・・。

嫁?

知らないね、する気があるのか別に好きにさせてるし、する気もないみたい・・・。

嫁側の実家には、

娘の出産時に里帰りはして、

実母と衝突もしたけど、

今では特に仲は悪くなく、

正月休みも「家族で来たら?」と言われたけど、

富山県は雪だらけで外にも出れないし、

娘が風邪とかノロウィルスにでも感染したり、

環境の変化で体調を崩すことも考慮して里帰りしなかった。

育児ではなく教育面では嫁と実家側が考えて、

もう幼稚園とかバレー学校とかも決めてある。

育児は想像以上に大変なものではあるが、

今まで私も嫁も大変なことを幾つも乗り越えてきた。

夫婦間での足並みも揃っている。

私らは娘命で、

決しておざなりなどしないし、

今、我が家で一番偉いのは娘で、

娘には服従状態です。

ただ余り身動き出来ないのは、

問題があるけど、

まだ寒いからね、

冬の間は、

ジッとしてるのが、

一番で、

色々なことを段取り中でもあり、

嫁は嫁で・・・。

私の暴走は、

この日記と、

フェイスブックの中で、

たまにマハラジャなのである!!!

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たまに友人らも私を地方から訪ねてきてくれるし・・・、

色々な出版社さんとかも・・・。

良き友、良き仲間たち、

その存在が私には、

育児にも仕事にも、

強く影響しているので、

更に頑張るのみです!!!

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2013年1月14日 (月)

今年は・・・!

年末の六本木マハラジャでのダンスイベントは大盛況だった。

その前には六本木で関東連合の事件も起き、

今年に入ってから次々と逮捕者が出た。

その関係でも暴力団抗争は続いて起きた。

僅かな金額での窃盗、強盗事件も・・・・。

不況の影響もあってか、治安は更に悪くなる一方であるようだ。

大阪では高校内での体罰による自殺者も出た。

ストーカー行為の挙句に殺人事件も・・・・。

暴力団取締り対策法が強化される事によって、

離脱者は増えても、

正業に就く事が難しく愚連隊と化すケースも・・・。

しかし、愚連隊と言っても、

弱い者イジメや如何にも勝てる相手に立ち向かうグループと、

そうではない愚連隊とに分かれている。

私は人種差別が嫌いだ。

誰かを、如何なる団体を誹謗中傷するなら、

実名で如何なる理由で・・・として頂きたいものである。

私も今月の24日で53才になる(所謂、オッサン=クソジジィ)。

物書きを初めてからも7年以上が経った。

今年の初めには新刊の発売も予定されている。

まだまだ未熟な物書きだが、

私は様々な経験を積んできた事を物を書く世界で生かしたい。

又、

物書きというのは人を生かす職業でもある。

私も周りに生かされてきた。

今は娘を育てながら、

自分自身も育てていると言える。

まだ学ぶべき事も多い。

中野ブラックエンペラーを仲間たちと設立し、

今では末端まで殆どのメンバーたちが多方面に渡って成功をしている。

後にも私には幾つかの試練が待ち受けており、

逆境というものも乗り越えていかねばならない。

それには良き友、良き仲間たちを大切にし、

自分の生きる方向性を見失わず、

真っ直ぐに進むのみである。

物書きになるまでは、

悔し涙を如何なる数だけ流した事か・・・。

努力は報われなければ努力ではない。

私は嫁と娘を守り、

私の役割というものを果たす。

成功とは決して大金を得る事だけではない。

今は亡き川村伸一という私の親分は、

「地に足を固めて何事にも揺るがない精神力を身に備え、

理想と目標に向かって・・・」とよく私に言っていた。

私は理想だけは、

親分と同様に高い。

それは亡き実父・漫画家の森哲郎も同様だった。

私には亡き親分と、

亡き実父の成し遂げられなかったもの、

その意志を継いで、

故・見沢知廉氏のような活動家的な作家に成りたい。

果たせぬ夢でも、

理想と現実は違えども、

目標に向かう道の途中で前のめりに倒れたい。

そして、次の世代の若者たちに、

果たせる道を作り上げる。

私という人間の美学と、

決して今の若者たちとは違うかも知れない。

私らが生きた昭和の時代、

不良は社会で受け入れられていた部分もあり、

ロックバンド・キャロルから矢沢永吉さんなども生まれたが、

後に段々と受け入れられなくなった不良も少なくない。

今、自民党が政権を取り、

昭和の時代へと変化を遂げつつある。

新たなる不良から如何なるスターが世に出るか、出すか・・・。

スターというのは自身の実力で自ら出るのと、

周りの支えで出るのとは大きな違いがある。

私は如何なる人に、

社会に認められるか、

という事も考えながら、

今年も私自身が自分で認められるような中野ジローでありたいと思う次第です!!!

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(ねえ、愛娘、ノアちゃん!)




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2013年1月 2日 (水)

新年明けましておめでとうございます!

・・・と言っても、昨年、身内関係に不幸のあった方たちには、

そうした年始の挨拶は控えなくてはならないが、

とりあえず・・・。

で、29日の六本木マハラジャイベントは大盛況で終了し、

30日は買い物とかして、

31日の大晦日は、

入籍記念日でもあり、

私は特製のお雑煮を作って、

麻布十番、永坂更科で買った年越し蕎麦も作り、

家族で食べた。

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(中野ジロー特製のお雑煮)

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(更科年越し蕎麦+海老天)

紅白歌合戦ではプリンセスプリンセスさんと、

坂本冬美さんが赤組として登場するので、

こりゃあ、赤組の勝利かな?

と思ったけれど、

郷ひろみさん、

舘ひろしさん、

だけではなくて、

矢沢永吉さんが特別ゲストで登場したからか、

白組が勝った(ただ私的には、そう思っている)。

なかなか彼らはイカした男たちで、

特に私は、

郷ひろみさんが通っていた堀越学園の側で育ったから、

若い頃に幾度もお会いした事がある。

矢沢永吉さんは、

キャロルの頃から、

私には憧れ的な存在で、

そのキャロルの護衛をしていたクールスのリーダーが、

私と同郷の舘ひろしさん・・・。

ダイアモンドだね~♪、

も、

夜桜お七の、

さくら~、さくら~、花吹雪~♪、

も久しぶりに観て感動した。

私ら夫婦も入籍してから4年になる。

その間には、

辛い事や楽しい事もあった。

そうした中でも、

愛娘、ノアちゃんの誕生は、

私ら夫婦には辛さも悲しさも素っ飛ぶほどの影響を与えてた。

年が明けて、

元旦には、

初詣で浅草寺に行き、

後輩親子と合流したが、

参拝は凄い行列だったので、

断念し、

皆で中華料理を食べてから、

帰ってきた。

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(中野ジロー、かんのん通りにて)

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(後輩の娘さんとツーショット)

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(後輩親子と変なエロ女とノアちゃん)

浅草雷門の、

かんのん通りでは、

酔っ払いジジイだったのか、

何だかバッグを振り回して暴れてたりしてたようで、

警察さんが取り押さえていたけれど、

こうして一般市民に迷惑かけるジジイは、

ブタ箱に放り込んで頂きたいものである。

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(ジジイはギャーギャーと訳の分からん事を叫んでいた)

まだ若者なら多少の事なら許せても、

最近はヤクザだか、半ぐれだか、変なクソジジイという存在が増えた。

私も通称「クソジジ」ではあるが、

一般市民には迷惑掛けずに暮らしている(・・・と思っています)。

その私が連載中の月刊実話時代も、

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今回は工藤会の事が主に書かれてある。

そして、私の連載「懲役ジローの全国セイハ」では、

京都刑務所を出所して、

「さて、少し京都で遊んで行こうかな?」と思っていたら、

出迎えが来てて、

そのまま直ぐに東京へ帰る事になった。

服役中に私は、

カタギになって、

物書きになろうと考えていたのだが、

そうそう物事は私の自由にはならないものである。

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(この後から私が物書きになるまでの話へと続きま~す)

私は物書きになってから、

7年が過ぎた。

今月には、

5冊目の新刊も予定はされているが、

まだまだ未熟な物書きではあるけれど、

この7年間、何とか何かしらの雑誌で連載を持たえて貰えている。

今年もマスコミは不況で、

何かと規制も強まるばかり・・・。

しかし、私ながらに経験した事、

これから色々な事を経験する若者たちに、

伝えたいメッセージというものが、

物を書く事の根本にはある。

ただ金を得るがための手段なら、

他にも色々と方法はあるが、

あえて私が物書きという道を選んだのは、

故・見沢知廉氏という政治活動家の作家さんの影響もあるが

世の真実を多くの方々に知って頂きたい、という思いが強いからでもある。

実話たる実話は実話を知る者にしか書けない。

私は子供の頃から、

無頼派から社会派に転向した漫画家・森哲郎という父親を持ち、

着物のモデル、ホステス、パブクラブのママ、麻雀店オーナー、

ファッションデザイナーの母親に育てられ、

中学校を卒業後は親元を離れ自立して、

「不良、暴走族、暴力団、創価学会、刑務所」という世界で生き、

京都刑務所を、

平成17年6月に3年の服役を終えて、

その年末頃から物書きとなり、

2年後には、

暴力団を口頭で破門を言い渡され、

後に正式に除籍という形で離脱が許された。

現在、関東では暴力団抗争が終決せず、

各地でも発砲事件は起きている。

その原因というのも私は知っているが、

暴対法の強化だけでなく、

それも影響しているのだろうけれど、

ある若者の一人にある。

若者の育て方、

育てる人物に問題もある。

人は如何なる人物に育てられるかで、

ほぼ決るものであり、

それが世間に大きく影響するものではないかのな?

私が今、

こうして家族で何とか麻布十番でも暮らせていられるのは、

良い人たちに育てられたからだと思っている。

そして、娘を育てながら、

自分というものを如何に今後も育て、

更なる前進を~という事に心がけ、

この不況というものを乗り越えていくか、

ではあるが、

私は決して器用な性分ではなく、

要領も悪い。

物欲というものも強くない。

だが、私は人というのには恵まれてきた。

先日の六本木マハラジャイベント開催にせよ。

それは裏方で私を支え応援してくれた方たちが居たからだ。

こんな散々と悪事に手を染め、

過去には多くの方々に迷惑をかけた私なのに、

嬉しい限りである。

そうした方々の気持ちを裏切らず、

後々も生きていきたい。

そりゃあ、いつかは死ぬ日も訪れるが・・・。

過去を振り返れば後悔する事も多いけれど、

後悔しても始らない。

前向きに、

何を目標にするか、

それは自分自身との戦いでもある。

中野ジローは中野ジローを貫くまでで、

皆さん、本年も宜しくお願い致します!!!

(皆さん、と言っても嫌いな野郎は宜しくしないで下さいね)

では、中野ジロー、頑張りま~す♪

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