« 12月29日【SUPER,DANCE,CLASSICS/2012】中野ジロー出版記念企画ダンスイベント! | トップページ | 横浜桜木町! »

2012年11月 2日 (金)

月刊実話時代 12月号

ヤクザ専門誌と言えば「実話時代」。

その12月号が発売中です。

Img_20121101_1509271

まず「関東の巨人・住吉会の現況」として、

住吉会の歴史から書かれてあるが、

よく関西の人に、

「何故、住吉さんは他の一家は、

住吉一家を名乗るようになったのに、

幸平一家は名乗らないの?

山口組みたいに、

二次団体、三次団体という風に、

区分けがハッキリとしてないけど、何で?」と訊かれる事が多い。

そういう事を知るにも、

これを読めば少しは分かるかも知れない。

元々、私が所属した頃は、

住吉連合で、

後に住吉連合会となり、

一本化するために、

住吉会と成った。

次々と他の一家は、

住吉一家●●何代目と変ったが、

あくまでも幸平一家は、

江戸時代の末期から伝統ある名門博徒一家の名称を残し、

今は十三代目を加藤英幸総長が継承し、

住吉会切っての武闘派として、

数々の抗争事件の先頭に立ち、

幾度も山口組さんとも抗争を繰り返し、

「関東に加藤あり!」とも言われる様に成った。

私は幸平一家の発祥地で十一代目当時も本部を置いていた都内中野区で、

小学三年生の時から育っている。

私ら中野区の不良少年としては、

十一代目は偉大なる英雄でもあり、

中根の代貸し、

小野の代貸し、

(要するに代貸しの二方を中野の貸元の総長は代行的に置いていた)

は共に中野区立第三中学校出身で

岩田の理事長は杉並区育ちだと聞いているが、

十一代目は若い頃から、

私と同じ中野鍋屋横丁という所から、

総長を継承した方で、

地元の住民から、

とても慕われていた。

普段も気さくで、

情味に溢れ、

「博徒は死せど金を残さず」の姿勢を貫き、

子飼いの若い衆たち末端にも、

遺産をお配りに成っている。

後、中野区の縄張りは、

中根のオジさんが継ぎ、

北口を死守し、

南は小野の代貸し、

東中野は岩田の理事長、

中野新橋は、

富田組(後の大昇会)だった。

大昇会は、

幸平一家の中でも、

独自の姿勢を持ち、

今でも貫いている。

小野の代貸しと岩田の理事長は、

お若い頃から中野区では不良としても有名でもあり、

両方ともに、

十一代目の金庫番を務めていた事もあった。

特に私が育った家の近所には、

小野の代貸しの実家があり、

ガキの頃から憧れ的な存在でもあった。

ただ体調を崩し、

十一代目の娘婿でもある岩田の理事長は、

気性も激しく十一代目を「ガンちゃん」と言われただけで激怒して、

相手のヤクザに発砲し服役を経験した事もあった。

服役先の府中刑務所でも、

私と同じ工場に務めていたので、

やはり他の懲役が、

総長を「ガンちゃん」と言うだけでお怒りに成っていたものだ。

それほど総長を慕っていた理事長だった。

清水幸一十一代目総長がお若い頃から、

「清水のガンちゃん」と呼ばれていたのは、

昔々の「清水の岩鉄」という著名な博徒の名前と、

何姓でもあった関係だからだとかで

カタギの人もそう呼んでいたが、

総長命みたいな理事長は許せなかったのだろう。

ただ残念な事に、

その方々は続いてお亡くなりに成ってしまった。

十一代目の後は、

一時的に、

十二代目は

埼玉口の築地久松総長で、

後に岩田の理事長が・・・という話だったが、

やはり体調を崩し、

現・十三代目に・・・と推薦したと聞く。

私の二人目の親分、

川村伸一は、

中根のオジさんの舎弟に成り、

小野の代貸しともよく一緒にお酒を飲む間柄ではあったが、

私は代貸しに

「中野育ちなのに、何故、新宿でヤクザしてるんだ?」と幾度も言われたものだった。

小学生時分から私は割と新宿の方で遊ぶ事が多くて、

暴走族を辞めてから、

新宿でヤクザをする様に成りはしても、

中野という土地には強く愛着心がある。

今でも、

中野ジローという名前で生きているのも、

ガキの頃から、

「中野のジロー」と呼ばれていたからである。

まあ私は親が再婚離婚を繰り返し、

幾度も姓が変わっているので、

皆、私の姓が何やら分からず、

「中野の・・・」という感じだったからだ。

古くから幸平一家は、

同じ住吉会に属しながらも、

藤沢幸平初代の家紋である、

「下がり藤」を代紋的に、

住吉会の代紋と両方を使用し、

他の一家に縄張りを譲らない事などもあって、

十三代目と成れど、

住吉一家に加わらず

幸平一家を名乗っている(・・・のだと思う)。

Img_20121101_1510021

住吉会には歴々たる名高き親分も存在するが、

何か事が起きれば、

真っ先に動くのは幸平一家であり、

関東に数々の親分さんは居ても、

やはり十三代目ほどの逸材は業界には二度と現れないとも言われている。

川村伸一は元々が、

十三代目よりも先輩格ではあったが、

頑固偏屈極まりなく、

又、

人に騙されたり、

裏切られたりして、

最終的には、

勢力的にも衰退し、

脳出血で死去し、

組は解散してしまった(後、私は何一家の別の組に移籍した)。

一家内でも口煩い事でも、

川村伸一親分は知られていたが、

その親分の自宅で私は部屋住みや運転手を務め上げている。

他に何人も同様な修行をしたが、

親分が「良し」というまで務め上げたのは私だけだった(・・と思う)。

御法度破りや半端ばっかり繰り返しては居ても、

私が逮捕されたら

川村伸一親分は見離さずに面会や差し入れにも来てくれたものである。

他の組員の場合だと、

そうした事は、

まず無かったと言えるかな?

私は今、

もう離脱をした身の上だが、

川村伸一の若者であった事に誇りを持ち続けたい。

それは川村伸一が、

段々と落ち目に成って、

皆は他の組織に移籍をしたが、

私は最後まで残った。

何事も落ち目に成った時に、

その人間性は知れる。

ヤクザでなくとも

私は男、、

男の生き方は、

同じだと思っているが、

犯罪には手を染めない。

そう後の親分とも約束して正式に離脱を許されたから・・・。

Img_20121101_1510271

今は暴力団取締り対策法が更に強化される中で、

代わりに愚連隊、半グレというのが増えている。

これは幾ら関東で規制を強めても完全排除は無理な話ではなかろうか?

Img_20121101_15104911

先達ての六本木フラワー事件でも、

関東連合という愚連隊の名前が取り上げられ、

「続出する残忍な犯行、正体不明の不良集団」という記事も、

今回の実話時代にも書かれてあるが、

私も元は関東連合中野ブラックエンペラーを設立し、

初代リーダーを務めたが、

昭和52年以降、私らは関東連合を名乗らなくなった。

その私らの年代と今の三十代の若者とは、

一部を除いて大きな相違点がある。

取締りの強化が原因なのか?

躾や教育的な事の問題なのか?

私は現在、

暴力団離脱者前科者支援という活動を行っているが、

決して愚連隊的な団体ではない。

どちらかと言えば、

そうした方々の相談に乗り、

各自の個性や能力を如何なる方向性で発揮出来るかという私なりのアドバイスをしたり、

団体的には民族運動サークル的なものであり、

政治や社会問題にも取り組んでいるが、

幾ら取締りを強化しても、

犯罪は無くなりはしないものだ。

無くなったら警察は要らなくなるし・・・。

アチコチに「暴力団排除」というポスターも貼られているが、

暴力団が無くなる訳はない。

Img_20121101_1511091

そうまず山口組さんは潰れはしない。

「てめえ、ヤクザを辞めたんだから、ヤクザについて能書きたれるな!」という声を耳にする事もあるが、

実際にヤクザを経験したからこそ言える事も書ける事もある。

大体、実際にヤクザを経験した者が書くのと、

まるで経験した事がない様な者とでは大きな違いがある。

例えば童貞の男が女を抱いた話を書けますか?

「てめえなど懲役ばっかりで・・・」という者も居るが、

刑務所もヤクザの修行の場として、

私は多くの著名な親分さんたちとも服役中に知り合った。

刑務所では皆も人生の中で色々な浮き沈みを経験し、

殺人の罪に問われた凶悪犯や強面のヤクザの親分さんが、

「瞼の母」という歌を聴いて大粒の涙をボロボロ流したり、

シャバで待つ奥さんの心配や子供の事で頭を抱えて悩んだり、

組織に対する愚痴をこぼしたり、

そして、看守らに怒鳴られながら、

一緒にメシを食い、

寝床を共にして、

人様に言えない様な事も語り合ったものである。

一回り以上も上の年代の方たちに、

ヤクザ、男という生き方を教わったり、

そうした経験を私は生かして未熟ながらも物を書いている。

服役中にも何千冊という本を読み、

徳島刑務所という長期刑の方々にも色々な事を教えられ、

七回目の京都刑務所では、

「鬼の廣田」という工場担当の看守にも、

工場内でも重要な作業班の班長を任せられていた。

それは自慢ではなく、

まあ、自慢と取られようが何でも良いけれど、

そうした事が私の糧となり、

良い方向へとプラス思考で捉えている。

そして、今回の「懲役ジローの全国セイハ」という私の連載では、

負けず嫌いで有名な「鬼の廣田」の指導の下で、

工場対抗運動会で優勝旗を手にするため、

如何なる努力を皆で一体になり、

厳しい訓練や練習をして、

見事に優勝する事が出来た話が書かれてある。

私も負けず嫌いな性分で、

幾度も「鬼の廣田」と衝突をしながら・・・。

Img_20121101_1512051

しかし、「鬼の廣田」は鬼は鬼でも角は頭に生えてなく、

・・・・だった(ここは読んで知って下さいね)

それにしても段々と離脱者に対し、

世の中は何かと風当たりが強くなる一方で、

まして私みたいに両小指が欠損してれば、

いつまで経っても暴力団組員と同様に思われる。

それでも私ながらの生き方を通し、

今では十九歳年下の嫁を貰い、

二歳十一ヶ月の娘を育て、

埼玉県所沢に仕事場を置き、

麻布十番の家で嫁と娘と一緒に暮らしている。

そろそろ娘も幼稚園に通わせて、

バレーの学校にも・・・。

Img_20121030_1904301

この連載と出版物、時に各雑誌などに物を書き、

又、

こんな私にも協力支援者も少しずつ現れ、

それなりの暮らしを保っていられる。

何だか、

そんな私に嫉みを抱くアホ臭い野郎も多いとか・・・。

いいかな、そんな嫉みを抱く前に、

自身で如何なる努力を積み重ねるか?

私は四五歳を過ぎてからパソコンを覚えるのにも、

悔し涙を流し、

嫁の我がままを聞きながら、

幾度も拙い文章を手直しして、

色々な方々の指導を真摯に受け止め、

過去は過去ながらも、

現在は嫁に幸せが如何なるものかという事を実感させている。

男の嫉みというのが(その妬みにも色々とあるが・・・)、

どれだけ醜いか、

自分の顔を鏡で見て、

よく考えなさいね。

如何なる状況でも、

気持ちにゆとりというものがあれば、

道は拓かれる、拓こうとする意志を強く抱いて、

物事を進めれば、

何かしらの結果は出るもので、

もしも結果的に失敗しても、

全力を尽くしていれば、

悔い無き人生を送れるものである。

では、能書き足れは、

ここら辺で終わりにして、

「実話時代」のご愛読を宜しくね!!!




|

« 12月29日【SUPER,DANCE,CLASSICS/2012】中野ジロー出版記念企画ダンスイベント! | トップページ | 横浜桜木町! »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 12月29日【SUPER,DANCE,CLASSICS/2012】中野ジロー出版記念企画ダンスイベント! | トップページ | 横浜桜木町! »