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2011年12月 7日 (水)

今は亡き親分(2)

故・川村伸一親分は、どうやら石原裕次郎に憧れて青森から上京したらしい。

同じような襟幅の広いスーツを着ては石原裕次郎の歌を歌っていたし・・・。

しかし、あんまり歌は上手くなくて、酒を飲みに行っても、

ケンカ自慢やヤクザの話ばかりで、

あまりホステスさんにはモテなかったような・・・。

川村の親分が他の親分衆と一緒に飲んでいる時に私が店内の片隅で、

ホステスさんとニコニコ顔して楽しく会話していたら、

キツい目をして睨み、帰りには必ず、

「女とニヤついてんじゃねえ!」

と叱られたものだった・・・。

そして、こう聞かれたこともある。

「お前は人を殺せるか?」

と・・・。

「そういうことは口に出して言えません!」

と私は答えたが、

すると含みのある笑みを浮かべていた。

「『何かあれば私がやります、行きます!』というモンに限ってな、

イザッ抗争となれば連絡取れねえか、何処かに消えちまう、

本当に行くヤツは、普段は大人しくても、黙って行く・・・!」

とも言っていた。

実際に私らの組が他所の組織と揉めた際にも、

その原因を作った組員は行方不明になり、

代わりに先方の組長を他の組員が、

拳銃で撃った・・・。

それでも先方の組長は、

逃げ足が速くて銃弾は当たらなかった。

その組員にも、

「場面で撃つくらいのことは誰でも出来る、テメエは人も殺せねえで!」

と怒りを爆発させていた。

川村伸一という親分は、

自身でも20代の頃に、

ヤクザを殴り殺して水戸の少年刑務所へ服役したことがある。

人の好き嫌いも激しくて、

何かと言えば、

「東京のモンは根性がねえ!」

と・・・。

それで私が、

「十一代目や中野の中根のオジサン、岩田の理事長、小野の代貸とか皆、東京育ちですが・・・」

と言うと押し黙っていたが・・・。

私ら池田会が解散し、

一時的に残党が全員で九州の道仁会に移籍して、

住吉会と揉めたことがあった。

結局、全員での移籍は認められず、

会長と数人だけが道仁会に・・・。

それでも何やら話が揉めたのか、

幸平一家を代表して、

先頭切って九州へ乗り込んだのが川村の親分・・・。

川村の親分は、

十一代目総長には可愛がられていた。

それは組織に忠実でコツコツ堅実型だったからか・・・。

私には、

「お前は後期晩年成長型だな!」

と言っていたが、

47才で口頭破門を言い渡され、

後には除籍という形で暴力団を正式に離脱・・・。

ヤクザの世界は、

大概、

誰の下に付いたかで出世が決ることが多い。

私の場合も、

川村の親分が生きていたら如何なっていたことか・・・。

親分自身も、

十一代目が死去し、

段々と落ち目になって、

縄張りは失い、

一家内でも、やや孤立・・・。

私が親分の訃報を知ったのは、

東京拘置所の中・・・。

凄くショックを受けた・・・。

たぶん実父の時よりも・・・。

実父とは親子というよりも親友みたいなもの・・・。

そう早くして親元を離れた私にとって、

父親代わりだった人は、

暴走族の先輩で、

ヤクザになってからも、

その先輩の方が私には大切な人だった。

それでも川村の親分とは、

一年間、寝起きを共にしてたので、

今でも実父の様に思い出される。

だが、親分のお墓は青森だし、

なかなか行けるものではない。

実父のお墓は何処なのか、たぶん生まれ故郷の名古屋だと思うが、

実父の親戚連中も私には教えない。

それは実父が残した多くの遺産的な作品を後妻らと結託して奪った、奪おうとしたからか?

実父には名古屋と静岡に愛人がいた。

後妻も静岡・・・。

実父がスキル性胃癌で、

残命2ヶ月と医者に告げられて、

名古屋の愛人は、

「何かあれば直ぐにジローくんに知らせるからね。やっぱお父さんの事は実子のジローくんに・・・」

と言いながら、

実父が死去の連絡は、

死後1時間何十分経ってから・・・。

(その3日前から愛人に電話しても不通・・・)

しかも既に葬儀の事とかは後妻側が決めていた。

慌てて私は葬儀に駆けつけたが、

後妻は静岡のギャラリーの社長らと式場を仕切り、

私のことは無視・・・。

静岡の愛人も、

「私はジローくんを実の子供の様に思ってるからね~!」

と言いながらも遺産云々の話だけで、

何故か普段はイガミ合っていた後妻と愛人2人は、

葬儀場でニコニコ顔で並んで座っていた。

静岡には実父を、

「哲兄ィ~」と呼ぶ人(この人が実父に後妻を紹介した)や、

結婚の際には実父が仲人をした「とんねるずの従兄弟さん」も住んでいるのに、

何故か実父の死去を私が連絡するまで知らなかった。

私らが育った家庭を良く知る伝説の彫師・初代凡天太郎さんは、

「ジローくんは親孝行など考えず、子供孝行して貰いなよ!」

と仰っていた・・・。

実父は遊び人で家庭を顧みぬ人ではなかったことを知っていたからか・・・。

私は実父が残した作品を再び世に出したい。

今では似たような世界で生きてるから・・・。

川村の親分も、

「ヤクザに家族はいらない!」

と言うのは口癖であったが、

実は寂しがり屋・・・。

本当は自分の組を家族のようにしたかったのだろう。

私にとって家族とは何だったのか・・・。

今は嫁と子供が居て私も家族持ち・・・。

それでも決してご立派な亭主とは言えず、

父親としても、まだまだな点が・・・。

どちらかと言えば私も、

家族よりも暴走族時代の仲間たちを大切に考えてしまう方で、

そうした理由でマッドマックスの仕事も辞めた。

恩ある暴走族時代の先輩を何度も注意したのに無断掲載したからだ。

私のことを幾ら誰がバカにしようと構わない。

ヤクザ時代もハンパばかりして、

ロクなモンじゃなかったし・・・。

それでも友人、仲間、亡き親分、実父、

妻子をバカにされたら腹が立つのは当たり前のことではないだろうか?

マッドマックスの編集長が、

私の嫁にナンパメール?

キチンと仕事は仕事として割り切って付き合いをするものではないのかな?

普段から女クセの悪い男・・・。

実父も、

そういう所が最終的には、

良い結果には成らなかったと思う。

川村の親分は女クセは悪くなかったが、

少々酒クセは悪かったかな・・・。

私は女クセも酒クセも悪く成りたくない。

まあ、酒クセは、まだしも、

浮気クセの強い男は平気で男も裏切るものだと私は思っている。

んんん、私も腹の中では(浮気したいな)という気持ちが無くも無いが・・・。

そんなことが娘にバレたら、

「最低~!」と言われてしまうし、

私には他に夢中にならなくてはならないことがある。

それは物を書くことだ!

まだまだ書くステージは少ないが、

なかなか出版社に売り込むことも苦手で、

今は娘の面倒に追われて・・・。

更にマスコミ不況は強まる一方で、

どないしょ?

とは思いながら、

キチンと中野ジロー連合会バンドも完成させて、

色々な方向性でも稼げるように、とは思っている。

今年も残り僅かになり、

正月は例の如く関西で・・・とは考えているが、

何だか、まだ関東から離れられない状況・・・。

実父や親分よりも、

まず早いうちに実母のお墓参りに行きたいものである。

実母には私も苦労かけたし、

可愛い娘の誕生を知らせに行かなくては・・・!

空の上からも、

「おい、母親の思いを大切にしろ!」

と親分が言ってるようで・・・。

そうなのである。

親分も長男なのに1人で上京し、

年に何回か青森から、

イカメシ、とか、リンゴが、

お母さんの名前で送られてきていた。

やっぱりヤクザとか男が幾ら強がっても、

母親の方が強し、かな?

ウチの嫁も母親になって強くなった、

というか、

強さが増した。

私とすれば女如きに負けるもんか!

だが、

やはり敵わないものなのか?

まあ、男は敵わない相手に向かっていく気持ちだけは持たないと・・・。

そう気持ちだけ・・・。

向かって行ってボコボコとか痛いのは嫌だから・・・。

かつて親分は言っていた。

「殴られる方も痛いだろうが、殴る方の拳も痛いんだぞ!」

そう私は人の心の痛みを知る人物と成れるように、

もっと成長致します!

(むむむ、だいぶマッドマックスの編集長やら色々な人の心を痛めてるかな?

そのくらいではヘコタレン編集長ではあるが・・・。愛人やら親戚とかは?)

(それにしても私はシツコイ野郎で御座いますね~)

それは東北生まれの親分に似たからである!!!

(そう何でも人の所為にするのは私の悪いクセ!)

では、風邪を引かないように、

もっとバカに磨きをかけようっと!!!

(バカは風邪を引かぬ・・・。でも、もっと賢くならないと!!!)

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コメント

後妻と言っても実父とは年に二度くらいしか会わず、実父は毎日の如く名古屋の人妻愛人と。オモロい実父であった!

投稿: 中野ジロー | 2011年12月 7日 (水) 11時39分

貴重なお話有り難うございます。涙腺ウルウルしちゃいました。

投稿: | 2011年12月 7日 (水) 13時56分

私も自慢できる 生き方をしてきたわけでもなく

今もなお 自慢できる生き方をしちゃいませんが


最低限 自分の周りだけは守れる人間であろうと
思います。


それと 日々 人として
まっすぐに 生きていきたいと思っておりますが

なかなか難しいものです。

ジローさんいい話を聞かせてもらいました。


三歩進んで 二歩さがり


頑張ります。


ジローさんも
頑張ってください

投稿: ニーナモーナ | 2011年12月 7日 (水) 17時44分

十一代目が入院していた江古田の病院に、何度もお見舞いに行ったな~

投稿: TK | 2011年12月 8日 (木) 03時41分

皆さん、有難う御座います。

45才から新たに物書きデビュー。

パソコンを覚えられず悔し涙を流しながら、色々な勉強会に出席し・・・。

世の中は学歴社会・・・。

私は中卒で、しかも当時の通信簿はオール1・・・。

娘も生まれ、確かに金は欲しいですが、

金では買えないものもある・・・。

それは思い出とか友情・・・。

十一代目は情を重んじ、地元の市民を大切にしてました。

全く気取りがなく誰にでも気さくに声を掛けて・・・。

やはり訃報を知ったのは獄中でしたが、

死後、殆んどの遺産を身内に配り、所謂、博打打ちは財産を残さない、という姿勢・・・。

そういう親分が今では居ない様な・・・。

金が物を言う時代・・・。

それでいいのかな、と私は思います!

投稿: 中野ジロー | 2011年12月 8日 (木) 09時51分

清水のガンちゃんは凄い親分です。

投稿: | 2011年12月 8日 (木) 09時52分

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