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2011年12月 6日 (火)

今は亡き親分・・・。

私は19才で暴走族を引退すると、

”喧嘩屋集団”と呼ばれた義人党松広興業で準構成員的な扱いに・・。

とても尊敬する人物が居た関係で一緒に下北沢を巡回したり、

他所の組織の義理場に誘われて行ったりしたものだった。

だが、私は本来の地元である中野に本拠を構えていた幸平一家に加入した。

当時は幸平一家の中でも飛ぶ鳥を落とす勢いで勢力を強めていた池田会の方に・・・。

それは殆んどガキの頃から新宿歌舞伎町で遊んでいたこともあり、

前々から加入を勧められていたからだ。

兄貴分は池田会でも事務局の役職に付き、

池田会の中でもグングンと勢力を強めていた木村睦の事務局長・・・。

私も暴走族時代の後輩らを何人か加入させて兄貴分も新宿に組事務所を構えた。

当時、木村睦は戦後から池袋を拠点に地盤を固めていたが、

本来、池袋は幸平一家の縄張りのため奪い返すために、

何かと小競り合いが続き、

池田会も渋谷から池袋に通称「池田会館」と呼ばれる本部ビルを・・・。

そこで一ヶ月缶詰状態になり、特攻第一斑のメンバーに選ばれ、

大塚のマンションに一ヶ月ほど潜伏していた時もあった。

まあ、私らの方は相手側とも上手く話し合いも済みドンパチに行かず済んだが、

後に池田会は末端組員が警察官や一般市民に発砲したこともあって、

関東二十日会の規律に違反したということで、

池田会の会長や木村の組長は絶縁処分になり、池田会も解散に・・・。

しかし、私ら池田会は不服とし、

残党が団結して全面的に関東中の組織を敵に回すことになった。

そういう状態も長く続かず池田会の各系列組織は、

幸平一家や別の組織で復帰することに・・・。

あくまでも木村睦の組長は愚連隊的な行動をし、

後には新宿歌舞伎町の喫茶店で射殺されてしまった。

いち早く私らは兄貴分と一緒に、

かつて池田会当時は城南地区責任者を務めていた川村組組長と幸平一家に復帰・・・。

川村組川村伸一組長は、十一代目総長の直参となり、

早稲田の縄張りを預かり、後には目白の貸元に・・・。

何しろ、川村の親分は一家内でも口煩いことと厳しさでは有名で・・・。

その親分の自宅で部屋住みと運転手を私は1年間ほど務めたが、

過去、何十人と組員が居た中でも務め上げたのは私だけであったような・・・。

その際にも色々とヘタは売ったが、

こうしたことは「月刊劇画マッドマックス」に「我輩はダメヤクザである」

に少しオーバー的だが書いた。

川村の親分は、

ヤクザに強いヤクザに成れ、

シャブを売るのも食うのもヤクザじゃねえ、

金は貸すな借りるな、

俺以外の人間には頭を下げるな、

ヤクザに笑顔はいらねえ、バカ話して笑いたければ漫才師に成れ、

女にモテたければホストに成れ、

能書き足れるなら学者に成れ、

と池田の会長や十一代目に教えられたのか、私に叩き込んだ。

毎日、4、5時間は正座させられ、

何かと言えば殴られた・・・。

そりゃあ、刑務所に行くよりも辛かった。

女も抱けなければ、何も遊べず、小遣いも貰えなかったし・・・。

それでも私が兄貴分の件で2年ほどの刑期を務めたこともあってか、

若頭にさせてくれたが、

それから再びシャブで懲役に・・・。

そんな私にも面会や差し入れに来てくれた・・・。

平成11年には脳出血で他界してしまった川村の親分・・・。

20代で組長になり、何十人もの組員を抱えていたが、

あまりにも頑固偏屈だったためか、

段々と組員は減り、

最後は私と兄貴や数人の組員だけになり、

金銭的にも苦しくて孤独死みたいな・・・。

その時、私も服役中だったし・・・。

こんな私にも情を掛けてくれた川村の親分・・・。

古い任侠映画が好きで夜中に何本も観ては、

ヤクザは、こうじゃなければいけねえ!

と言ってたっけ・・・。

東京拘置所には、

手紙を書くのも20年ぶりで字は汚かったが、

そこには本当に私に対する期待が込められていたような・・・。

そんな親分の気持ちを私は何度も裏切ってしまった。

今で尚、川村の親分のことは忘れられない。

ヤクザを辞めて物書きになった私を天国で親分は如何に思っているのかな・・・。

ヤクザする気の無い組員は無理に組織に留めなかった親分・・・。

水戸の少年刑務所で、

新宿十二荘の小金井一家桜井慎三親分と親しくなり、

兄弟分になった親分・・・。

妥協しない麻雀の打ち方で負けてばかりの親分・・・。

青森生まれで酒を飲むと、何を喋ってるか分からなかった親分・・・。

懐かしい・・・。

何で親分の言う通りにしなかったのか・・・。

安らかに天国で眠って下さい。

たぶん私は天国でなく地獄行きでしょうが、

親分の教えを忘れず、

私は私なりに頑張りますので・・・!!!

(・・・と、この季節になると色々と古いことを思い出すものですな・・・)

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コメント

ジローさんはじめまして。
読んでて涙がこみ上げてきました。
僕も親孝行が未だ出来てない若輩者、故
もう何年も帰っていませんが
両親が健在のうちに実家に顔見せに行こうと思いました

投稿: imu | 2011年12月 6日 (火) 16時14分

はじめまして。
親が生きてるうちに親孝行を、と言いますが、自身が生きている限りは、如何なる方法でも親孝行出来ると私は思っています。
良い思い出を忘れず、更に自身が良い方向性に進むことを考えて。。。失敗恐れず、成し遂げようという気持ちだけは私も失いません。
ご両親が健在なら早くお会い出来ます様に!

投稿: 中野ジロー | 2011年12月 6日 (火) 23時46分

私の場合は、亡き親分がかねがね言っていた、
まず足元の地盤を、しっかり固めて、
という言葉が思い出されます。
家庭は持てど、まだまだなので如何なる様にと
検討中です!

投稿: 中野ジロー | 2011年12月 7日 (水) 00時14分

初めまして、最近昔の事を良く思い出し、何となく..川村伸一で検索した所でした。川村さん、お亡くなりになったのを知って驚きました。平成2.3年頃の話ですが...青森のご両親にも会いました。生きていたら
62歳ですね。そうですか~亡くなられたのですね。

投稿: | 2011年12月12日 (月) 16時15分

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