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2008年7月14日 (月)

歌舞伎町のロクデナシ

新宿歌舞伎町は悪い奴らが多い街だ。平気な面でヤクザを食うカタギも居れば、ヤクザの激戦区でもある・・・。
数年前までコマ劇場脇の路地に「破門通り」と呼ばれ、ヤクザ組織を破門されたタチの悪い連中ばかりが集まる界隈があった。周辺にはゲーム喫茶が密集し、不良中国人やヤクザ風の男女が店内に並ぶテーブル型ポーカー機の台に向かって博打に夢中になっていた。
悪賢い頭と暴力を武器に、恥も外聞も気にせず銭を作る奴らが多かった。メチャクチャなヤクザやシャブ中ばかりの無法地帯と化していた。
マトモなヤクザは連中を相手にしないで「ロクデナシ・グループ」と陰で呼んでいたが、ある意味では歌舞伎町の裏社会を牛耳っていた面もある。「悪の中の悪」よりも「腐った悪」と言ったほうがお似合いだろう。
俺もそのロクデナシの一人だった。組織内においては問題児扱いされ、いつ破門になってもおかしくないヤクザとして二六年間、渡世を張ってきた。
一九歳の時、俺はヤクザになったが、懲役の繰り返しで合計一七年間は刑務所の中にいた。ハタチを過ぎてシャバに居たのは一〇年にも満たない。早い時には二ヶ月ほどでパクられた。逮捕状が出て二年ほど逃亡生活を送ったこともある。
この歌舞伎町にはシャブ中が沢山いるので、密売を主なシノギにしていた俺は、割と楽に銭を稼げたが、シャブを食って博打をしてたら銭が幾らあっても足りやしなかった。一〇万儲けても、一時間経たないうちに百円玉の一つも無いなんて始末は数え切れやしない。
ネタ元からシャブを買うにも銭が無いから、知人を捕まえて無心もしたが、借りた銭を返えさないのは当たり前のようだった。又、そんなグループ内の奴に貸したら最後、返して貰えた例がない。
銭が原因で毎日の如くトラブルが発生した。歌舞伎町のど真ん中で何度もケンカや口論になったが、すぐに人集りが出来てしまう。
ある日、シャブの銭を払ってない奴を見つけて、風林会館の前で怒鳴りつけた。
「オイ、一万円返せ!」
「何だと、口の利き方に気をつけろ!」
と逆に突っ掛かってきた。確かに奴は俺より年齢も上だ。が、貸したほうが偉いと俺は思ってる。
「能書き足れる前に返せ!」
「生意気言ってやがると殺すぞ、コラ!」
「約束の日から何日過ぎてんだ、この乞食野郎!」
口論になって周りには物珍しげに人が集まってきた。金額的には大したことはないが、面子があるから引く訳には行かなくなった。それに一万が、博打で数十万の金に化けることもある。
しかし、お互いに弱いのはシャブを身体に入れてることだ。警察官が数名で走ってくるのに気がつくと、人垣を割って俺たちは逃げた。
銭が絡めば友人も先輩も何もなかった。銭を作る時だけロクデナシは結束する。あげくの果て銭の配分でケンカにもなった。チャカを突きつけられたり、灰皿で殴られたこともある。また逆の時もあったが、常にナイフは所持していた。誰も信用なんか出来ず自分だけが頼りである。一度ナメられたら歌舞伎町でメシが食えなくなってしまう。
このロクデナシな連中を「何だ、ただのチンピラじゃねえか・・・」と思ったら実はそうでもなく、若い衆を一〇人ほど持って組長を名乗るようなのも少なくない。ヤクザはケンカが強いか、銭があるかで実力が決まる世界であり、組織的背景は影響するが、肩書きだけでは通用しないものだ。かえって破門中のヤクザには掟もなく、失うものが無いから強いのである。
歌舞伎町は「眠らない街」と言われるように、一日中、人が絶える時間がない。博打や女と遊ぶ場所にも不自由しないが、それにはやはり銭が必要だ。思い起こせば二四時間、歌舞伎町を徘徊して銭を作り回っていたこともある。三日間もポーカー機の台と睨み合っていたこともあった。
パチンコ屋でも一旦入ると閉店まで玉を打ち続けた。持ってる銭が尽きれば、あちこちに電話を掛けてシャブを無理やりでも売りつけ、また店員に難癖をつけては銭にしたりした。
土地っ子なのが、俺には大きな助けにもなった。幼馴染の友人が沢山いる。いまだにシャブ中になったのを俺の所為にする奴の話を聞くと、俺の影響で横道に逸れてしまった後輩も多いようだ。
そもそも俺が不良少年から、更なるロクデナシのクラスまで落ちた原因は何だったのか・・・?
俺の生い立ちや家庭環境を語ると複雑なので長くなるが、小学一年生の時に両親が最初の離婚をした。母は二つ上の兄と俺を育てるために、歌舞伎町でホステスとして勤め出し、母子三人でのアパート暮らしが始まった。母の留守中は兄や俺の友人たちの溜り場となり、小学六年生にはシンナー遊びを覚えた。中学生になると歌舞伎町のデイスコや深夜喫茶に毎晩の如く通い、童貞を失ったのもその頃だ。
そして中野区立の中学校を卒業した。両親が復縁して埼玉県に引っ越したので、俺は親元を離れて、新宿で三畳一間のアパートに一人で暮らすようになった。喫茶店やガソリンスタンドなど色々な職業にも就いたが、いずれも長続きせず不良への道をまっしぐらに進み、一〇代での補導歴は二〇回近くあっただろう。
そんな俺が何より好きだったのが単車であり、一七歳で友人たちと共に『中野ブラックエンペラー』を結成してアタマになった。暴走族がはやった時代である。毎週土曜の夜の集会には、都内近隣のブラックエンペラーが単車と四つ輪を合わせて、五〇〇台から多い時は千台に及ぶ数が集結した。
敵対するチームをバットや木刀で襲撃して警察沙汰になることもあった。火炎瓶が飛んだり、死者が出たような事件もある。
集会の無い日は、ほとんど歌舞伎町で遊んでいた。恐喝した銭で生活が成り立っていたが、まだシャブにはあまり手を染めてはいなかった。
昭和五三年一二月、道路交通法が改正となり、暴走族に対する取締り規制が厳しくなった。段々と仲間の人数は減ったが、俺は警察の目をくぐり抜けながら、五四年末頃まで集会に欠かさず参加した。
同年齢の仲間たちは暴走族を卒業してヤクザに成るか、マトモな道を歩むかの選択を選ばざる得なくなった。俺は迷わずヤクザ組織に加入した。その頃にはシャブにどっぷり漬かっていたし、密売もするようになっていたからだ。
以後、二八年間ヤクザの組織にいた。武闘派としても全国に名を轟かす名門の誇り高き一家で、行儀や躾には厳しかった。シャブで刑務所ばかり行ってる俺のようなロクデナシが出世できるほど甘くはない組織だ。謹慎処分を受けては何度も反省坊主になり小指も三回落とした。親分や兄貴分に死ぬほどシメられたことも数え切れやしない。よく組織から破門にされなかったものだ。
短期間だが親分の家に部屋住みに入り、ベンツの運転手をして二四時間、親分の側で修業した時期もあったが、好きなシャブをやめるのはそう簡単なことではない。親分に解放された途端、シャブに手を出してロクデナシの生活に戻ってしまった。
そんな俺が何故シャブや博打をやめられたのかは、かつてのロクデナシぶりを知る人にとっては不思議だろう。否、今でも怪しんで「本当にやめたの?」などと聞いてくることもある。
平成一六年の六月、俺は七回目の懲役を京都刑務所で三年務め、満期釈放になった。歌舞伎町に戻ると石原都知事が進める『新宿浄化作戦』でゲーム喫茶は一掃され、ヤクザが三人以上で歩けば取り締まりの対象となる都条例まで出来て、至るところに警察官の姿が目立つようになっていた。
やたらと職務質問を受けるような繁華街になってしまい、ロクデナシには暮らし難くなった。
そして某組織を率いる親分を中心に新宿のヤクザが一体となり、不良中国人や破門中のロクデナシは追放されてしまっていた。
俺も以前の如きスタイルでは、絶縁処払いの処分になるか、再び刑務所に逆戻りになってしまうので、ロクデナシから脱皮してマトモな道に進むのを選んだ。四六歳になって俺は漸く自覚を持ち、シャブとの縁を断ち切った。
平成一八年三月、「刑務所ぐらし」という著書が世に出て作家の片隅に身を置かせて貰える身になった。だからって、一冊の本を出版したから作家に成れたとは自惚れてはいない。少し道が開けただけである。
平成二〇年二月、組織から完全に離脱することができた。ゆえに何処までこの道で突き進めるかは知れずとも、俺が過去に残したロクデナシの汚名を拭い去るためにも社会に貢献できる生き方をしたい。
「所詮、ロクデナシだった男に何ができるのか?」と思う人もいるだろう。確かに中卒の俺が学問で世間の知識人を追い越せるとは思わない。
しかし、裏社会で培った人脈と知識に加え、体験して得た『生きた学問』がある。  
散々、好き勝手をして生きた俺のような前科者が世間に「悪いことをするな!」などとは言えないかも知れないが、世の中は本音と建前の世界だ。憲法や法律にもすべて裏があると言ってもいい。表面だけ見ていても世間は変わりはしないのだ。裏の現実を見詰めて日本の将来を考えなくては前には進みはしない。ただヤクザを犯罪組織とみなして阻害するだけでは、マフイア化して更に悪質な犯罪に手を染めてしまう輩が増えるだけである。
ヤクザや前科者だって人間だ。不良な箇所を本質的に見詰め直させ、立ち上がらせなくては世の中の渦に埋められてしまう。
ヤクザからも「ロクデナシ」と言われ「更生不可能」とも警察官や刑務官に判断された俺が、その不可能を可能にして更生した。世間がそれを認めるには五年かかると言われるが、すべての人に認めて貰おうなどとは思わない。自分が誠実に生きてれば、結果は後から付いてくる。
そして、こんな俺を見放さずにいてくれた友人たちの気持ちに少しでも報いられればいつ死んでも悔いはない。
友情は大きな心の支えになった。塀の中で妻子と別離した悔しさや母の死は、俺の『意地」を起こさせるきっかけになり、獄中で投稿した全国の刑務所に配布される「人誌」に佳作入選したのも自信に繋がった。
出所後に取材記事や漫画の原作を書き、新たな道をスタートさせた中で邂逅した著名な人たちの存在は、俺の人生観を更に変えるものとなった。本来ならロクデナシなんか相手にして貰えない人たちばかりである。
政治、薬物乱用、ひきこもり、ニート・・・、社会問題とされる様々な分野を勉強しながら、一八〇度変換した生活を送る日々を、俺なりの行動で世間に示していくしかない。
俺の言うことを「そりゃ違うぜ・・・」と思う人もいるだろうが、まずは書いた物を読んでくれ!!!

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コメント

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投稿: みんな の プロフィール | 2008年7月18日 (金) 03時08分

全国のロクデナシよ、頑張ろうぜ!!!

投稿: 中野ジロー | 2008年7月18日 (金) 09時19分

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